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紀元前2000年、古代エジプトのミイラに巻かれていた布は藍で染められた物でした。藍はタデアイとうタデ科の一年草の葉を使った藍色の染料です。
東南アジア原産で、中国では古くから栽培されていました。
日本には飛鳥時代以前に伝わったとされています。その後各地で栽培されるようになり、特に盛んだったのは阿波国(徳島県)の吉野川中・下流域でした。加賀、騎西など北埼玉で栽培されるようになったのは江戸後期で、当時の農政学者・佐藤信淵はその著「経済要録」の中で、「木綿は河内を上品として、・・・その他、武蔵青梅、川越、埴生(羽生)、八王子」などの産地を上げています。埴生とは現在の埼玉県羽生市です。
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「四里の道は長かった。
その間に青縞の市のたつ羽生の町があった。」
〜田山花袋「田舎教師」より〜
武州は古くから藍染めの盛んな地域として知られています。明治の文豪、田山花袋も武州を舞台にした小説「田舎教師」にその情景を描き出しています。
藍染めは天明年間(1781〜1789)頃から、武州(現埼玉県北東部地方)に広まっていきました。武州の土地は藍や綿を育てることに適していたため、多くの農家の主婦が副業として藍染めを行っていました。
はじめは農作業の合間を見て自分達の衣服を作るだけでしたが、次第に農閑期を活用して綿織物を織り市で売るようになったのです。主に野良着や半纏、はかま、足袋、浴衣などに使われ、当時の衣料の80%近くを占めていました。
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やがて紺屋が糸を染めて売るようになります。そしてその糸を機織りに出して反物を売るようになったのです。明治時代には武州地方の藍染めを扱う店は300件を越えていたと言われています。このように古くから武州地方では藍染めが盛んでした。
武州の藍染めも栄えていた時代に比較すると規模は小さくなっています。しかし藍染めがかもし出す深みのある色合いは、古きよき日本を思い出させてくれます。最近ではファッションの一つとして取り入れられることもあり、藍染めは私達の生活をより色鮮やかに演出してくれています。 |
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